守山市にお城はあった?調べてわかった市内に残る城館跡の歴史
日本のお城や名城を紹介するテレビ番組を見ていて、ふと思いました。
「そういえば、わが守山市には昔、お城ってあったんやろか?」
滋賀県のお城といえば彦根城や安土城が有名です。少し範囲を広げれば長浜城などもあります。
ところが、守山のお城となると……。
守山で暮らしていながら、これまでほとんど考えたことがありませんでした。
そこで今回、守山市の資料などを調べてみました。
すると、ちょっと驚きました。
現在の守山市には天守が残るようなお城はありませんが、市の「周知の埋蔵文化財包蔵地一覧」には、「城館跡」に分類される中世の遺跡が数多く登録されています。
「守山にもお城があったのかな?」くらいの軽い気持ちで調べ始めたのですが、どうやら話はそんなに単純ではなさそうです。
今回は、そんな守山市に残る「城」の痕跡を追いかけてみたいと思います。
※城館跡の中には詳しい歴史が分かっていないものもあります。本記事では守山市の公開資料などで確認できる範囲を中心に紹介しています。
守山市には、実はたくさんの「城館跡」がある
まず驚いたのが、その数です。
守山市の資料では、2021年8月末時点で、市内に24か所の「城館跡」が周知の埋蔵文化財包蔵地として登録されていました。
守山市が公開している埋蔵文化財の資料を確認すると、「城館跡」として登録されている遺跡が市内各地にあります。
たとえば、
- 守山城遺跡
- 浮気城遺跡
- 勝部城Ⅰ遺跡
- 勝部城Ⅱ遺跡
- 焰魔堂城遺跡
- 千代城遺跡
- 阿村城遺跡
- 古高城遺跡
- 立入城遺跡
- 金森城遺跡
- 三宅城遺跡
- 大林城遺跡
- 欲賀城遺跡
- 山賀城遺跡
- 杉江城遺跡
- 矢島御所遺跡
など。
これらは守山市の公式資料に掲載されている城館跡の一例です。多くが「中世」のものとして登録されています。
普段何気なく見ている「勝部」「浮気」「焰魔堂」「古高」「金森」「三宅」といった地名が並んでいるのが面白いところ。
僕自身、
「えっ、そんなところにも城があったの?」
という感覚でした。
彦根城のような巨大な天守を想像すると少し違いますが、中世の守山には、地域の武士や有力者などに関係する城館が各地に存在していたことがうかがえます。
「守山城遺跡」も公式資料に記録されている
その中でも名前が気になるのが、やはり守山城遺跡です。
守山市の資料では、守山学区にある「中世」の「城館跡」として守山城遺跡が登録されています。
ただし、ここで注意したいところがあります。
現在の守山には、石垣や天守などを見て「ここがお城だったんだ」と簡単に分かるような姿が残っているわけではありません。
今回の記事をリライトするにあたって改めて資料を確認しましたが、築城者や城の詳細について、僕が確実だと思える公的資料までは確認できませんでした。
ですから、
「○○が築城した」
「○○との戦いに使われた」
などと無理に物語を付け加えるのではなく、現時点では、
「守山市の資料に中世の城館跡として守山城遺跡が登録されている」
というところまでを押さえておきたいと思います。
分からないことが残っている。
これも地域の歴史を調べる面白さなのかもしれません。
勝部や浮気、焰魔堂にも城館跡
さらに興味深いのが、守山駅周辺でも複数の城館跡が確認できることです。
守山市の資料には、
浮気城遺跡、勝部城Ⅰ遺跡、勝部城Ⅱ遺跡、焰魔堂城遺跡、千代城遺跡、阿村城遺跡、古高城遺跡
などが掲載されています。
今では住宅や道路が広がり、僕たちが普通に生活している地域です。
その同じ場所に「城」と呼ばれる場所が存在した。
そう考えるだけでも、いつもの町の見え方が少し変わってきます。
特に面白いのは、こうした城館跡が一か所だけではなく、かなり近い地域に複数存在していること。
現在の「城」という言葉から巨大な城郭を想像するのではなく、当時の地域社会の中にさまざまな規模の城や館が存在していたと考えると、理解しやすいのかもしれません。
小津学区にも城館跡がいくつもある
さらに驚いたのが小津学区です。
守山市の資料を見ると、
金森城遺跡、三宅城遺跡、大林城遺跡、欲賀城遺跡、山賀城遺跡、杉江城遺跡
が城館跡として掲載されています。
金森、三宅、欲賀、山賀、杉江……。
守山に住んでいる人なら、どれもごく普通に聞く地名ではないでしょうか。
しかし、その地名の横に「城遺跡」と付けてみると、一気に印象が変わります。
現在の守山市の風景だけを見ていると想像しにくいのですが、何百年も前には今とはまったく違う地域の姿があったのでしょう。
「古城」という地名から見つかった播磨田城遺跡
地域の歴史の面白さを感じさせてくれるのが、播磨田城遺跡です。
守山市によると、1985年に行われた中世城郭分布調査で、この地域に**「古城」という字名が残っていた**ことから遺跡として扱われるようになりました。
その後の調査では中世の生活の痕跡や遺物も確認されています。
これ、すごく面白いと思いませんか。
建物そのものがなくなっても、
地名が記憶を残している。
普段なら何気なく通り過ぎてしまう地名が、何百年前の地域の姿を知る手掛かりになるわけです。
守山市内を散策するとき、昔から残る地名を少し意識してみるだけでも、新しい発見がありそうです。
木浜には今も伝わる「木浜城跡」
もう一つ、守山市が個別に紹介しているのが木浜城跡です。
守山市によると、木浜城は進藤山城守の居城と伝えられ、現在も水路などの痕跡があるとされています。
進藤氏は六角氏の重臣だったとされ、資料には永禄8年(1565年)に木浜城が焼失したという記述も紹介されています。
ただし守山市も、城跡について「証拠付ける跡は定かではありません」としています。
こういうところも大切にしたいと思います。
歴史というと、つい「こうだった」と断定したくなります。
でも、何百年も前の地域の歴史には、伝承として残っているもの、史料から分かるもの、まだ分からないものがあります。
その境界も含めて記録しておく方が、地域メディアとしては面白いのではないでしょうか。
木浜には「大槻氏城跡」も
さらに木浜には、大槻氏城跡も伝えられています。
守山市によると、大槻氏の居城と伝えられ、現在の大槻家一帯が城跡と想定されています。
木浜の土豪だった大槻氏は、室町時代には六角氏の家臣となり、その後、信長・秀吉に仕え、江戸時代には藤堂高虎の重臣となったと紹介されています。
同じ木浜地域に、こうした城跡の伝承が複数残っているのも興味深いところです。
守山市の「速野まるごと博物館マップ」でも、木浜城跡と大槻氏城跡の両方が地域の歴史スポットとして紹介されています。
琵琶湖岸の穏やかな現在の風景からは、なかなか想像できない歴史です。
なぜ守山市にこれほど城館跡があるのだろう?
ここまで調べると、最初に抱いた
「守山にもお城はあったの?」
という疑問そのものが少し変わってきます。
「守山に一つのお城があったか」という話ではなく、
「中世の守山には、各地域に多くの城館が存在していた」
と考えた方が、実態に近そうです。
もちろん、それぞれの城館の規模や役割、築かれた時期、誰が使用していたのかについては、分かっていないものもあります。
それでも、市内のさまざまな地域に城館跡が登録されていること自体が、現在とはまったく違う守山の姿を物語っています。
現在は住宅地や田畑になっている場所にも、何百年も前には違った景色が広がっていた。
そう考えると、いつもの町が少し面白く見えてきます。
城跡を実際に歩いてみたくなった
今回の記事は、テレビでお城の番組を見ながら、
「守山にも城ってあったんかな?」
と思ったところから始まりました。
そして調べてみた結果、予想以上に多くの城館跡が守山市内にあることを知りました。
となると次にやってみたいのは、やっぱり実際に現地へ行ってみることです。
石垣や天守が残る有名なお城とは違い、守山の城館跡の多くは、現地へ行っても一見しただけでは分からないかもしれません。
それでも、昔から残る地名、水路、わずかな地形の違い、案内板などを探しながら歩いてみる。
そんな散策も面白そうです。
今後実際に城館跡を訪れることができたら、写真とともにこの記事にも追記していきたいと思います。
城跡を訪れる際には注意を
守山市内の城館跡には、現在の住宅地や私有地などと重なっている可能性のある場所があります。
城館跡として登録されているからといって、自由に敷地へ入って見学できるわけではありません。
現地を訪れる場合は、公道や一般に立ち入り可能な場所から見学し、私有地には無断で入らないようにしましょう。
遺構らしきものを見つけても、触ったり持ち帰ったりせず、その場所に残しておくことも大切です。
地域の歴史を楽しみながら、現在そこで暮らしている方々への配慮も忘れないようにしたいですね。
まとめ|いつもの守山の下に、知らなかった歴史がある
「守山市にも昔、お城はあったのだろうか?」
そんな素朴な疑問から調べ始めた今回の記事。
調べてみると、守山市には守山城遺跡だけではなく、勝部、浮気、焰魔堂、古高、金森、三宅、欲賀、木浜など、市内のさまざまな地域に城館の痕跡や伝承が残されていることが分かりました。
普段、車や自転車で何気なく通っている場所。
いつも買い物へ行く途中に通る町。
そんな場所にも、何百年も前には今とはまったく違う風景があったのでしょう。
彦根城や安土城のように、誰が見ても分かる大きなお城だけが歴史ではありません。
地名だけが残った場所。
水路にわずかな痕跡が残る場所。
そして、資料の中にだけ名前が残っている城。
そういう小さな地域の歴史も、今のうちに知っておくことには意味があるように思います。
僕自身、守山で暮らしていながら、今回調べるまでこれほど多くの城館跡があるとは知りませんでした。
そして知ってしまうと、今度は実際に見に行きたくなります(笑)。
これから守山市内を散策するときには、少しだけ昔の地名や地形にも目を向けてみようと思います。
何気なく見ていた守山の風景の中に、まだまだ知らない地域の物語が隠れているのかもしれません。
